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 宮下の水道は大正の末期に東海道線の泉越トンネルを建設するときに鉄管で,水を引出してあったのが始まりです。長い間山内の沢に放水してありましたが,昭和8年頃部落 (現在の区) 内で水道敷設の計画がなされ幾度か寄り合が開かれましたが『金がかかる,井戸があるから水道はいらない』等の意見があって,なかなか決りませんでした。丁度その時部落の共有林が売却され,その金を分配しないで水道敷設の資金に当てて造ることに決まりました。その時この金を拠出した人々が,今の水道組合員であり権利者であるわけです。
 200戸ばかりの小部落であったから始めは放任給水で,水道料金も一世帯5人迄50銭,5人以上が60銭で共用栓(戸外にあって共同で使用するもの)は30銭でした。『宮下部落ではもう水には心配はいらない』と喜びましたが,たちまち人口が増えて水を使用する人が多くなったから,水圧の低下で場所によっては水の廻らない所が出来たのでメーター器を取り付け,料金も使用量によることになりました。 
 戦後、駅下都市計画事業が進められ,60町歩余の田園が宅地化されるに従い,人口は急激に増加し、水の需要が非常に増え,水源を増やし、配水池を増設し,配水管も広範囲に布設する等施設の増強に努めました。更に豊富で清潔な水を給水するため,濾過機を設置、配水他の大きなものを海抜60mの所に造り,尚停電の時も支障のない様に非常用自家発電機等も備え付けられました。

 簡易水道と云うとなにか簡単な水道だと思われるかも知れませんが,これは給水人口上の呼び方でありまして,宮下の水道は始めからでは莫大な資本のかけられた名実共に近代的な完全で立派な日本一の簡易水道となりました。